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自分のこと

2020/11/10 【その他】 フォトグラファ

少し肌寒くなってきましたが、

みなさん如何お過ごしでしょうか?

カメラマンの三田です

  

タイトルの自分のこと…

私が職業カメラマンになって25年が経ちました

職業カメラマンというワードで調べてみると…

日本語で定着している「カメラマン」の日本語訳は「撮影技師」という固い語彙となってしまうが、これはあくまで直訳でありCamera Manは英語圏で使用される最も一般的な「カメラを持つ人物」を表す名詞である… だそうです

そして、

日本ではカメラマンは女性であってもカメラマンと呼ばれるそうです

  

職業カメラマンの仕事内容として、

メディアカメラマン

雑誌・新聞などの画像素材の制作及び収集

  

学校カメラマン

様々な行事に同行し、記念写真の撮影を請け負う

  

写真スタジオや写真館の経営

経営方針によっては時代と共に廃れつつある事業であるが、七五三や成人式・結婚式などの記念撮影を家族に代わって請け負う

  

戦場カメラマン

戦争の戦場などの現場を取材し、真実と現状と現実と悲惨さを世界に広く伝える事を目的として、撮影を行うカメラマン

有名なのは、ロバート・キャパとか

澤田 教一さんですかね…

ちなみに、澤田さんは自身のことを「戦場カメラマン」と呼ばれることを

すごく嫌っていたそうです

  

芸術家としてのカメラマン

風景から人物、無機質なオブジェに至るまで「光の芸術」(写真は光を駆使したアートメディアであるから)を制作し、個展の開催および作品の販売を行う

あらためて調べてみると、こんなにたくさん…

  

  

カメラマンとして振り返っても

本当にいろんなことがありました

始めた頃は、

まだデジタルの写真なんて全くと言っていいほど

見ませんでしたし…

フィルムカメラが仕事道具でした

スマートフォンなんてありませんし、

職場との連絡はポケベル(ポケットベル)でしたね(笑)

あれ、今更なんですが…

ポケベルが鳴ると職場に電話する…

たいていが良くない知らせか、急ぎの指示…

目には見えない鎖みたいなもんですよね…

本音は、鳴るととても不愉快なものでした

  

それはさておき、25年前…

阪神淡路大震災の発生した年です

その前年に写真の仕事を始めたんですが、翌年あの地震が起きました

ただただ、直後の破壊された街を撮影しながら歩いた記憶があります

途中からもう撮れない…って感覚に襲われながら、

でも記録だから撮らなきゃ…って思ったり

その時、報道写真は自分には向いてないなって思ったんです

幸い、雇ってもらえたのが写真館なので報道とは無縁でしたが

今考えると、よかったんだなって思えます

とりあえず、25年…

  

いろんなことがありました…(ここには、書ききれません…)

でも、これからもカメラを持っていろんな人を撮り続けたいと思います

  

こんなふうに自分を振り返ってみたのも

写真家の浅田政志さんを描いた映画「浅田家」を知ったからですかね

まだ、見てないんですけど…

ゆっくり家で見たいと思います(笑)

  

最後まで読んでいただいてありがとうございました

フォトグラファー/三田健二

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